失明から職業復帰までのプロセス

インタビューに答えてくださった、クラウディオさんを例に、盲人協会への入会から職業復帰に至るプロセスを書いてみます。
クラウディオ・コンゴストさんは、18歳のときに交通事故で失明しました。
「すべてを失ったような気がしましたよ」
と、当時を振り返ります。
スペイン盲人協会では、通常の視力の10%以下、もしくは視野の10%以下の人たちを「視覚障害者」と認定します。それよりも見える人は盲人協会のメンバーにはなれません。このような眼科分野の条件を満たす人だけが、盲人協会のサービスを受ける権利を持ちます。
盲人協会入会の第一歩は、協会専属の眼科検診を受けることから始まります。そこで「視覚障害」と認定を受けたクラウディオさんは、盲人協会への登録の手続きを行いました。まず、会員証の発行があります。これはクレジットカードぐらいの大きさで、本人の写真が貼られていて、点字と普通文字で会員番号が書かれているものです。次はいろいろなサービスのオリエンテーションがあります。
そこで、社会復帰をしたいと希望した彼は、バルセロナにある中途失明者のリハビリテーションセンターで、一年間社会復帰のための集中研修を受けます。歩行から料理、裁縫に至るまで、一人一部屋のホテルのようなところに一年間宿泊して、研修を受けたそうです。日本よりもかなり時間をかけた集中的なリハビリテーションです。ちょっと厳しいと思われる方もいらっしゃるかと思います。重要なことは、「本人が社会復帰を希望する」という意志を示さない限り、このリハビリテーションは受けられません。あくまで本人の意志が尊重され、本人も自分の意志で選んだ道だからこそ、一年間という長く厳しい訓練に耐えられるのです。
次に彼は、職業訓練を希望しました。その訓練を受けるために、ちょっとはなれたところに行ったそうです。でも今はその必要はありません。自分の住んでいるところで職業訓練が受けられます。彼はそこから紆余曲折があって、今のスペイン盲人協会に就職したそうです。1980年代は、それほど職業を見つけることは困難ではなかったそうです。でも今はもっと事情が厳しいと彼は言います。
(終わり)

宝くじ以外の職業状況

盲人協会の収入が増えたことで、視覚障害者にもっとたくさんの融資をしたり、サービスを向上させたりすることができるようになっていきました。この大きな収益のおかげで盲人協会は一つの会社であるだけでなく、視覚障害者のためにいろいろなサービスができる組織になりました。リハビリテーション、ソーシャルワークサービス、点字のIT技術サービス、弱視のためのサービスなどです。それまでは宝くじ販売員としてで働く視覚障害者がいただけだったのですが、この頃から視覚障害分野のエキスパートたちが、リハビリテーション分野から教育分野に至るまで、たくさん出て来るようになりました。1987年〜88年にかけて、教育・リハビリテーション・弱視のための施設がスペイン5箇所にできるまでになりました。
職業対策の一つとして、1989年、盲人協会はホールディングを設立しました。そこで視覚障害者を含むさまざまな障害者を雇用しました。経営は盲人協会です。具体的な職種としては、たとえばスペインでもかなり大手の清掃業務の仕事があります。警備業務、ホテルもあります。ホテルの経営者とフロント係は視覚障害者です。
数は少ないのですが、大学を出て違う仕事に就く視覚障害者も出てきています。しかし、民間企業で働く視覚障害者は、まだまだ数が少ないのが現状です。企業で障害者を雇うメリットはあります。たとえば、ある企業で35歳以下の女性の障害者を雇用すると、スペインの法律で社会保険料の5%だけを会社が払い、残りの95%は政府が払います。これは企業にとってはかなりのメリットです。しかしこのことが企業経営者になかなか理解されていません。盲人協会でも、企業に就職した視覚障害者には必要な機器、たとえば音声ソフト、画面拡大ソフトなどを会社に無償で貸与しています。スペインの企業で仕事を見つけるのは、なかなか難しいことです。
もちろん、盲人協会で違う仕事をする視覚障害者も出てきています。点字関係、主にIT技術関係です。それに、心理学者、ソーシャルワーカーなどもでてきています。以前はこういう仕事を目の見える人たちが行っていました。もちろん、目の見える人でないとできない仕事もあります。リハビリテーション関連です。歩行訓練士、視能訓練士などは完璧に目の見える人でないとできません。
視覚障害者に戻れば、弁護士や理学療法士(物理療法士)もいます。理学療法士は病院で働く人と、自分で開業している人とがいます。時期はわかりませんが、スペイン盲人協会は視覚障害者のための理学療法士の学校を設立しました。国内のほかの学校と比べても大変よい学校とのことです。毎年約25人ぐらいの生徒が学べる学校です。今は大学で健常者を対象にした理学療法士のコースができました。その意味では、この分野では盲人協会はパイオニアといえます。しかし、視覚障害者の理学療法士がたくさんいますが、それ以上に健常者の理学療法士が増えていて、この職業も目の見える人たちとの競争で、大変厳しい状況にあります。
(終わり)

盲人協会の宝くじ

「盲人協会の成り立ち」で、協会が国から正式認可を受けた時、宝くじの販売を、正式に視覚障害者専属の仕事として認可されたということをお話ししました。わかりやすく言えば、現在のみずほ銀行の宝くじ部門の業務を、盲人協会専属のビジネスとして行ってきたということです。
1984年にスペイン盲人協会は宝くじの番号を全国統一しました。このことは、盲人協会の収益増加に、とても重要な役割を果たすこととなります。それまでは各州ごとに違う桁数の番号の宝くじを売っていました。それを全国4桁の番号で統一し、これによって盲人協会はかなりの収益を上げられるようになりました。
盲人協会の宝くじは、毎日何名かの当選者がでます。当選番号は朝刊で告知されます。宝くじの販売は、1970年代までは盲人協会専属でしたが、1980年代に入りスペインに民主化の波が押し寄せてくると、盲人協会専属ではなくなりました。しかし、国民の中には「盲人協会の宝くじ」として、すっかり定着していましたし、盲人協会の幹部もほかの会社に負けないような経営努力をしました。その結果、今でも宝くじの収入は、盲人協会が一番です。その企業レベルは、スペイン国内でもかなり収益のよい優良企業の一つです。
スペインに行くと、どなたでも通りで宝くじを売っている視覚障害者の姿を見ることになるでしょう。日本ではすっかり姿が少なくなりましたが、小型の電話ボックスのようなキャビンが、街のあちこちに立っています。そこには「ONCE(国立スペイン盲人協会)」と書かれていて、その中で視覚障害者が宝くじを販売しています。一枚1ユーロです。
盲人協会の宝くじ収入は免税の対象です。そのことによって、盲人協会はそのお金をすべて視覚障害者のサービスに使うことができるようになりました。また、1988年に視覚障害以外の障害者、知的障害、肢体障害、聴覚障害などあらゆる障害のための基金を設立しました。盲人協会の収入の3パーセントの資金をこの基金に、47%を給料や建物維持等の経費に、そして残りの50%を視覚障害者のサービスに当てています。
盲人協会は全国で常時22,000人の宝くじ販売員を雇用しています。今はそのうちの半分は視覚障害以外の障害者です。現在宝くじを売る人の一ヶ月の収入は焼く1500ユーロ。クラウディオさんが若いころは90%以上の宝くじ販売員が視覚障害者でした。年々そのパーセンテージは減っています。とはいえ、盲人協会では宝くじ売りの仕事をしたいと希望すれば、明日にでも雇うことを実行しています。そういう機会はまだ保障されています。
(終わり)

 

スペイン盲人協会の成り立ち

国立スペイン盲人協会(ONCE)レポート

局は大学時代にスペイン語を専攻しました。たまたま聞いたスペイン語が超かっこいい響きだったからです。実は、ものすごーくミーハーなのであります。ことばを学んでみるとやっぱりそこに愛着がわいてきて、卒業旅行を皮切りに、小金がたまればスペインに行っています。結婚後も機会があれば、弱視の夫と二人でスペインを旅行します。気ままな個人旅行がわれら夫婦の旅のスタイルです。
2009年10月30日、旅行で訪れたスペイン北東部にあるビルバオ市で、国立スペイン盲人協会バスク州ビルバオ支部長の、クラウディオ・コンゴストさんにスペインの視覚障害者事情をいろいろと伺いました。それをご紹介します。バスク州はスペイン北東部、フランスとの国境に位置しています。一大工業地帯で、経済的にもスペインを支えています。
日本とは全く違うノリ、歴史、風土、文化を持つスペイン。盲人協会」だって、成り立ちや、形態、職業など、あっと驚くことがたくさんあります。世界的に見ても大変珍しい形態で、きっと何か参考になることがありそうです。何はともあれ、読み始める前にこれだけは、しっかりと心にインプットしてください。
『スペイン盲人協会は、盲人協会であると同時に、一つの企業である』

1.盲人協会の成り立ち
ほかのヨーロッパ諸国では、第二次世界大戦で失明軍人が大量にでたことから、国立の盲人協会の設立を政府に要求し、政府から資金的援助を受けることになりました。スペインの場合は、歴史的事情から独自の道のりをたどりました。1936年7月から1939年3月まで、国内で内戦が勃発しました。フランコ将軍が率いる軍事政権が勝利し、将軍が没する1975年まで、軍事独裁政権が続いたのです。この内線で多くの失明軍人を出すこととなりました。
1938年まで、盲人協会はそれぞれの自治区(自治区は17州あります)の小さな会でした。1938年に統合して一つの盲人協会をつくり、時のスペインの統治者であった独裁政権のフランコ将軍に、国立の盲人協会として認可してくれるように申し入れをしたのです。将軍はこれを受け入れ、1938年12月13日に国立スペイン盲人協会が設立されました。スペインの人口のほとんどがカトリック教徒です。12月13日は、盲人協会の守護神である聖ルシアの記念日に当たります。この日から現在に至るまで71年間存続しています。すべてのスペインの視覚障害者が一つの盲人協会の元に団結してきました。
内線直後のスペイン国内は国土が疲弊し、資金も底をついてしまったために、第二次世界大戦には参戦しませんでした。そんな状態ですから、視覚障害者に資金的援助をすることは、当時の政府にはできませんでした。そこで将軍は、国立盲人協会だけに宝くじの販売を、正式に視覚障害者専属の仕事として許可しました。「お金は出せない。仕事を与えるから、それで何とかやってくれ」ということです。
スペインの視覚障害者は、そのときから通りに出て宝くじを売っています。そして盲人協会は宝くじの収入で、自分たちのためのサービスを自分たちで行うようになっていったのです。当時の盲人協会は宝くじを売る視覚障害労働者の会社でしかありませんでしたが、自分たちで運営して、自分たちで稼いだお金を自分たちで使うという利点がありました。この形態は今も同じですが、当時の軍事政権の特徴として、盲人協会の役員を国が指名していました。1975年にフランコ将軍が没するまで、戦争によって失明した軍人や独裁政権の党員の盲人の中から指名したのです。そうして盲人協会は1982年まで、こんな具合に成長していきました。
フランコ将軍没後、スペインにも民主化の波が入ってきました。そして1982年、スペイン盲人協会内部で初めて民主的な全国レベルの選挙が行われました。初めて盲人自身が自分たちの協会の役員を選んだのです。
協会の役員には、視覚障害者の代表として政府と交渉するほかに、宝くじを売る企業の役員としての経営センスが求められます。つまり国立スペイン盲人協会は、盲人協会であると当時に、宝くじ販売を生業とする一企業でもあるのです。しかもその売り上げ・業績は、常にスペイン優良企業に入っているという成績です。これは世界的にも珍しい、盲人協会の形態です。
(終わり)