スペイン盲人協会の成り立ち

国立スペイン盲人協会(ONCE)レポート

局は大学時代にスペイン語を専攻しました。たまたま聞いたスペイン語が超かっこいい響きだったからです。実は、ものすごーくミーハーなのであります。ことばを学んでみるとやっぱりそこに愛着がわいてきて、卒業旅行を皮切りに、小金がたまればスペインに行っています。結婚後も機会があれば、弱視の夫と二人でスペインを旅行します。気ままな個人旅行がわれら夫婦の旅のスタイルです。
2009年10月30日、旅行で訪れたスペイン北東部にあるビルバオ市で、国立スペイン盲人協会バスク州ビルバオ支部長の、クラウディオ・コンゴストさんにスペインの視覚障害者事情をいろいろと伺いました。それをご紹介します。バスク州はスペイン北東部、フランスとの国境に位置しています。一大工業地帯で、経済的にもスペインを支えています。
日本とは全く違うノリ、歴史、風土、文化を持つスペイン。盲人協会」だって、成り立ちや、形態、職業など、あっと驚くことがたくさんあります。世界的に見ても大変珍しい形態で、きっと何か参考になることがありそうです。何はともあれ、読み始める前にこれだけは、しっかりと心にインプットしてください。
『スペイン盲人協会は、盲人協会であると同時に、一つの企業である』

1.盲人協会の成り立ち
ほかのヨーロッパ諸国では、第二次世界大戦で失明軍人が大量にでたことから、国立の盲人協会の設立を政府に要求し、政府から資金的援助を受けることになりました。スペインの場合は、歴史的事情から独自の道のりをたどりました。1936年7月から1939年3月まで、国内で内戦が勃発しました。フランコ将軍が率いる軍事政権が勝利し、将軍が没する1975年まで、軍事独裁政権が続いたのです。この内線で多くの失明軍人を出すこととなりました。
1938年まで、盲人協会はそれぞれの自治区(自治区は17州あります)の小さな会でした。1938年に統合して一つの盲人協会をつくり、時のスペインの統治者であった独裁政権のフランコ将軍に、国立の盲人協会として認可してくれるように申し入れをしたのです。将軍はこれを受け入れ、1938年12月13日に国立スペイン盲人協会が設立されました。スペインの人口のほとんどがカトリック教徒です。12月13日は、盲人協会の守護神である聖ルシアの記念日に当たります。この日から現在に至るまで71年間存続しています。すべてのスペインの視覚障害者が一つの盲人協会の元に団結してきました。
内線直後のスペイン国内は国土が疲弊し、資金も底をついてしまったために、第二次世界大戦には参戦しませんでした。そんな状態ですから、視覚障害者に資金的援助をすることは、当時の政府にはできませんでした。そこで将軍は、国立盲人協会だけに宝くじの販売を、正式に視覚障害者専属の仕事として許可しました。「お金は出せない。仕事を与えるから、それで何とかやってくれ」ということです。
スペインの視覚障害者は、そのときから通りに出て宝くじを売っています。そして盲人協会は宝くじの収入で、自分たちのためのサービスを自分たちで行うようになっていったのです。当時の盲人協会は宝くじを売る視覚障害労働者の会社でしかありませんでしたが、自分たちで運営して、自分たちで稼いだお金を自分たちで使うという利点がありました。この形態は今も同じですが、当時の軍事政権の特徴として、盲人協会の役員を国が指名していました。1975年にフランコ将軍が没するまで、戦争によって失明した軍人や独裁政権の党員の盲人の中から指名したのです。そうして盲人協会は1982年まで、こんな具合に成長していきました。
フランコ将軍没後、スペインにも民主化の波が入ってきました。そして1982年、スペイン盲人協会内部で初めて民主的な全国レベルの選挙が行われました。初めて盲人自身が自分たちの協会の役員を選んだのです。
協会の役員には、視覚障害者の代表として政府と交渉するほかに、宝くじを売る企業の役員としての経営センスが求められます。つまり国立スペイン盲人協会は、盲人協会であると当時に、宝くじ販売を生業とする一企業でもあるのです。しかもその売り上げ・業績は、常にスペイン優良企業に入っているという成績です。これは世界的にも珍しい、盲人協会の形態です。
(終わり)